岩手盛岡観光スポット紹介(啄木編)
こちらは啄木が晩年、東京朝日新聞に勤めていたときに歌ったものです。
職を転々としていた啄木ですが、東京朝日新聞社は結核に罹り出勤ができなくなるまで勤めていたようです。啄木が出勤できなくなっても、新聞社からは給料が出続けていたそうで、もし病にさえ罹らなければ、次第に生活も安定して、東京で大きく名を上げたのかもしれません。
さて、駅前から文学フリマ会場がある大通りに向かっていくと、途中に開運橋という橋があります。
10年前のNHK朝の連続テレビ小説「どんど晴れ」でも名を売った場所ですが、今回の目的はそのたもと。
啄木であい道。英語が面白いです。deaimichi Laneって。まあ、川もKitakamigawa-Riverみたいに訳されるから普通なのかも。それにしてもなんでしょう出会い道って。
川沿いに作られた公園的な立ち位置のようですね。
「啄木のように情熱的にぶつかり、苦しみ、怒り、悲しみ、喜びを深く味わい尽くそうとする人たちとの、新しい出会いが生まれたなら・・・」という願いが込められた名前だとか。
この道の両脇に、結構な数の歌碑が設置されています。この時期はまだ寂しいですが、両脇には木々が植えられており、文学フリマ岩手開催の頃には緑の中、川の音を聞きながら散策できるなかなか良いスポットになりそうです。
歌碑の写真も撮りましたが、せっかくなのでぜひ足を運んで探してみてはいかがでしょうか。
開運橋を越えて大通りに入ってきました。実は大通りにも啄木が!
特に目印がないので、見逃す人は見逃してしまう、「北風に立つ少年啄木像」です。
この台座にも歌が刻まれております。でも多分みんな気付いてない。そんなちょっと切ない大通りの像。
さらに進むと会場があります。が、今回はここを華麗にスルーして、その裏にある盛岡城跡に向かいます。
はい、盛岡城跡の一角にも啄木の歌碑があります。
啄木は盛岡中学校時代、学校を脱走してはこの城跡にきて、文学書や哲学書を読みふけったそうです。
ちなみに歌碑の文字は、親友であった金田一京助(辞書でも有名な日本言語学の大家)の書になります。
今ではビルが立ち並ぶ場所ですが、昔はこの場所から一円が見渡せたことでしょう。若い啄木が夢を見るには良き場所だったと想いを馳せられる場所です。
ちなみに、歌碑の後ろに見えるビルが文学フリマ岩手の会場になります。本当にすぐそばです。
盛岡駅から盛岡城跡まで約1.5km、徒歩ですとそこそこの距離になりました。
ですがもう少し足を延ばしてもいい、そんな方は盛岡天満宮に足を運んでみてはいかがでしょうか。
盛岡八幡宮の方が有名ですが間違えないように。天満宮です。菅原道真が祭られている方です。
盛岡城跡から約3kmほど離れていますが、近くまでバスもあるのでまったく行けないわけでもありません。
こちらも啄木が少年時代に足しげく通い、散策や読書にいそしんだそうです。
立地はちょっと小高い丘の上。城跡といい、啄木は高いところが好きだったのかもしれませんね。なんとかと煙は高いところが
こちらにも啄木の歌碑があるんですが、その歌碑の上に鎮座している狛犬がなんといっても有名かもしれません。
こま……いぬ……?
これ、狛犬なんです。もう片方の狛犬もまた違ったユニーク顔だったりします。これだけでも見る価値はあるかも。
ちなみに敷地内には、啄木のほか、江戸時代に活躍した俳人の碑があるほか、今日は(たぶん冬期間は)閉まっていましたが、独特な狛犬を使ったアイテム等を販売していたり、石割桜ならぬ石割梅(!)があったり、知る人ぞ知るスポットとなっております。
さらにちなみに車でもいけますが、駐車場がとても狭い道を進んでいくことになるのでご注意を!
ということで、盛岡駅から啄木の歌碑を追って歩いてみました。
実は大通りから一本道を外れるだけで歌碑があったりするのですが、全てを紹介しても面白みがないので割愛いたしました。
他に大通り周辺には啄木新婚の家やもりおか啄木・賢治青春館といった施設、またバスで30分ほど離れますが「石川啄木記念館」という名前の通りの記念館も存在しており、様々な資料を通じて啄木の姿を知ることができます。
しかし、今回ご紹介したスポットはあえて歌碑、歌というものに着目してみました。
その地にいって、なぜその歌の碑がこの場所にあるのか、そういった考えを巡らすこともまた、文学的な楽しみ方の一つではないでしょうか。
大変な長文、失礼いたしました。最後まで読んでいただいた方には心からの感謝を。